事業のねらい

(1)村をとりまく状況の移り変わり

 昭和20年代半ばのころには、豊根村にはたくさんの人がいました。4,600人ぐらいだったでしょうか。 当時は、戦地から帰ってくる人たちがいたりして、人が増え食料さえ問題になりました。豊橋市に集団入植することもあったそうです。 そして、戦後の経済の成長にあわせて、より魅力的と思える働き場、生活の場を求めて、人々はどんどん山を下りていきました。子どもたちも、高校や大学に行くために山を下りていきました。 そうして、50年近く豊根村では村の人が減り続けています。今や村や集落の存続が問題になっています。

(2)交流による地域づくり

 では、そうした状況のなかで、今後の農山村のあり方はどのようになっていくのでしょうか。今のところいえそうなことは、一つの山村が単独で居続けることは難しそう、ということです。 しかし、最近語られている地方交付税交付金という国のお金をみんなで分ける仕組みや、市町村合併という行政の仕組みの再編という話題において、 都市<対>農山村 という、単純な関係で語られることが多いのです。 そうした関係を超えて、農山村を支援する仕組みを考えていかなくてはなりません。都市<対>農山村という関係を超えた仕組みづくりを通 して、対等・協力であるような新たな関係づくりに挑戦していきたいものです。

(3)地域資源としての人

 交流を生かした地域づくりの資源として、何が考えられるでしょうか? 豊根村を大きく見渡してみると、 固有の自然環境 /地域に息づく山村/伝統文化 /自然とともにある生活のかたち/地域に暮らす人 といったものが頭に浮かびます。それぞれ固有のものでとても大切なものです。 しかし、まちに住む生活者にとって、これらは決定的な魅力にはなかなかなりません。今後は直接」「活動」といった、何ものにも替えられない地域の大切な資源に対して、「投資」がなされていくべきだと考えます。

(4)都市と農山村の新しい関係

 これまで農山村では、人が少なくなる過疎化という問題に対していかにまちの人を招き入れるかということに苦心してきました。これからは、地域の人たちが独自に楽しんで、幸せな生活づくりをしていくことを考えなくてはなりません。ただただ、依存するような関係ではなく、相互の不足を補い、その恩恵を分け合えるような、価値と意味のある関係をつくっていくことが、とても大切なことのように思います。

(5)新しくやってくる人を支援する仕組み

 まちに住む人にとって、農山村に生活の場を移すには、乗り越えなくてはならない大きなハードルがいくつか存在します。一つは働き場の問題であり、一つは生活の場を移すリスクです。今後はこうしたリスクを軽くするような交流の仕組みづくりが必要になっています。「農山村にUJIターン」となる前に、ある程度期間が限られた中で、地域の人と新しくまちからやってくる人、それぞれが地域と自分の距離、農山村の生活と自分の適正との関係が、試すことができるような手順と仕組みづくりが求められています。そこで豊根村では、その人達のために短期滞在ができる施設を整備しました。


 

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