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熊谷家

18世紀初頭の建築で、当時の豪農のたたずまいを伝え、昭和49年2月に国の重要文化財に指定されています。

住所 愛知県北設楽郡豊根村上黒川

 

熊谷家由来

熊谷家はかつて造り酒屋を営み、また、山間部庄屋を務めて現在二十代目を継いでいる古い家柄です。熊谷氏は家伝によると、初代熊谷玄藩が信濃国より土着して黒川をひらいたといわれています。これを知る資料は皆無ですが、この地方で熊谷姓を名乗る一統の中にあって、代々庄屋を務めていることや、格式ある屋敷構えや墓石の宝筺印塔などがあることからも、この地方を取り仕切っていた家柄だったとみてよいでしょう。 隣村津具村の村松学平文書によると、三河山間部は信濃国下伊那郡神原村 (現天龍村) より国境を越えて、三河山間に勢力を張るに至った様子がうかがえます。熊谷氏宅は天竜川の支流大入川の中流の山間地に位置しています。この場所は、遠江の佐久間町から大入川沿いに上って津具・根羽へと、金越から新野峠に向かう中馬街道の脇道としての重要な道番所でもありました。

 

三河山間部の代表的民家建築

当住宅の建築年代を推測資料としては、寛保4年 (1744) 以降の祈祷札が残されています。また屋敷の間取りや構造形式がこの地方に例がなく、むしろ静岡県浜松地方にみられる武家住宅の形式と類似することから、建造年代は18世紀前半と推測されています。屋敷構えは母屋を東向きに構え、門は屋敷中央の東に長屋門がありましたが、現在は棟門となっています。門の左に新倉・穀倉土蔵があり、母屋の北に納屋倉庫があります。醸造業を営んでいた時代には多くの付属室を配していたと思われます。建造当初の建築様式や生活を知るに十分な保存がみられ、三河山間部における代表的な価値のある民家です。 

 

建造当初の面影を残す7尺5寸の柱間取り

熊谷家は建造以来、幾度かの改変を経て現在に至っています。18世紀末~19世紀初頭には上段の間と納戸を改変し、上段の間を広縁側に張り出しました。また、昭和初期には「寝間」と便所を増設し、広縁をとりつぶしています。柱間の寸法は7尺5寸 (225cm) を単位としており、通常の6尺・6尺3寸の単位とは異なっています。したがって部屋の連続的機能をもつ間の柱を除き、他の部分は7尺5寸を単位とする、1間毎に柱を入れた古い形式を残しています。

格式の高さを示す古六間取り

建造当初の間取り形式は、古六間取りの構えに広縁を回し、庭側に床張りのだいどころを張り出していたとみられています。復元図は上段の間や納戸が改変された時限の間取りです。古四間取りや古六間取りは一般の民家にはみられず、格式ある武家住宅にみられる間取りです。熊谷家が18世紀中期以前の建築ながら早くから六間取りを採用していることからも、熊谷家の格式の高さがうかがえます。

 

熊谷家保存活動のあゆみ

昭和49年2月 文部省より母屋・穀倉・新倉が重要文化財の指定を受ける
昭和50年度 自動火災報知機設置・消防設備設置・避雷針設備設置
昭和57・58年度 母屋茅葺き替え・土蔵2棟改修
平成7・8年度 母屋茅葺き替え・自動火災報知設備改修
平成12年度 新倉 (屋根葺替え・漆喰壁部分修理)
平成18年度 消防設備改修

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